朝から植木屋さんが入っている。
ここ数年は区のシルバー人材センターにお願いし、毎回同じ二人組のおじさん達が来てくれている。
どちらもお顔を見ると、ああこんな感じの人だったと思い出すくらいなのだが、それでも勝手に懐かしい。
窓を挟んだすぐそこに年配の男の人がいるわけなのだが、それがなんだか妙に落ち着く。
二世帯で隣に住む母はカーテンをぴっちりと締め
「ありがたいけど今日は一日鬱陶しいわ」
というのだが、私はできれば夕方までいてくれるといいなと思ってしまう。
おじさんだからいいのだ。
これがおばさんだったら。
それはそれで楽しいのだろう。きっと休憩時間にお茶出しに行って、少しおしゃべりをしたりして。
おじさんはそっけない。
車を動かすから鍵を貸してくれというので持っていっても、
「あ、どうも」
だけ。「どうもすみませんね。じゃ、お預かりさせてもらいます」でもない。
でもそれがいい。
仕事と相棒と制限時間。それ以外に気を散らさない。
その素っ気なさ。そこがいいのだ。
おそらくどこかで、亡くなった父に近い年齢の彼らに何かを重ねているのだろう。
父親っ子だった私は今でも時々「お父さんに会いたいなあ」と恋しくなる。
生前の父はいつも応接間でレコードを聴き、力仕事も電動機械も得意ではなかったから、目の前の植木屋さん達とは似ても似つかない。
それでも亡き父の何かを彼かに感じる。
これはなんなんだろう。
そうとう重症なファザコン現象だろうか。