トースト

北風がキンとする。

冬の始まり。

ホットカーペット、長い夜、読書、クリスマス。

そして焦げたトーストの匂い。

この季節になると必ず思い出す。小学二年のとき、教室にはガスストーブがあった。子供が近寄らないよう、周りにはぐるっと金属の柵があり、ストーブには銀色の煙突がついていた。

ある冬の給食の時間、教壇横の教員用事務机で食べていた先生が突然立ち上がり、自分の食パンをこの上にひょいと乗せた。

たちまちガス火で焼いたあの独特の香りが立ち込める。生徒たちは大興奮で集まった。

先生、何してんの?

トーストにしてみようと思って。美味しいかどうかわかんないけど。

ちょっと焦げたパンを2枚持ち上げて、アツっと先生はステンレスのお盆に戻した。

どう?どう?

ん、おいしい。・・・やりたい?

やるっつ。私もやりたい!ボクも!僕も!

はーい、じゃあ焼きたい人は並んで。

教室の真ん中にずらりと列ができ、先生は順番に焼いてくれた。

カリッと焦げたパンに大はしゃぎの私達は受け取ってはそれぞれ席に戻る。

これ、すぐ乗っけるとマーガリンが溶けるっ。

うそ、あー、ほんとだー!

今度は教室中がバタートーストのいい匂いになってゆく。

怒るとおっかない、お母さんと変わらない年齢の女の先生は

騒ぐ子供達を叱ったりもせず、ニヤニヤちょっと悪の顔をして、ほぼ全員のパンを焼いてくれた。

先生のパンは冷たくカチカチになっていた。

あの匂い。興奮。大騒ぎしている景色。声。

こんな大人になっても記憶に残っているだなんてあの時の私は知らない。

「今日のことはお家では言わないように」と、帰りの会で先生が笑って言った。

 

心の中

長芋を送ってくださった人から今度はりんごが届いた。

今度は短く、重ね重ね恐縮していることと、たくさんあるからアップルパイを焼くとお礼を書いた。

ちょうどそこにいた息子の前で読んで聞かせる。

「おかしくない?」

「よかろう」

「ついでに今日書いたのも」

初めて自分の書いたブログ記事を読んだ。なんとなく伝えたかったのだ。今を幸せと思っていることを。

声を出して読みながら息子に自分の新婚時代を語ったことがなかったと気がつく。

普段、さっぱりしている私たちにも二人並んでテレビの前に座ったり、手巻き寿司で誕生日のお祝いをしたりした時期があったことを白状することになった。

自分が登場しテーブルの前で寝ていて、寝ぼけて降りてきた夫が私に追い払われたところになると笑った。

全部読み終わっての感想は

「なかなかええやん」

書かれて嫌がるかと反応をみたが、気にしていないようだった。

洗面所に行き、戻ってきた。

「あのさ」

もう俺のことは書くなと釘を刺しておこうというのか。

「サラッと聞き流したけど、俺がテーブルで寝てたのが幸せなの」

そこなんだ。

「そうだよ。片や晩御飯食べながら寝てるのを起こし、片や寝ぼけて降りてきたのを寝かし、やれやれと思っている今が満ち足りてるなあって感じたんだよ」

なんだか小学生の国語の読解の解説みたいになってきた。

「幸せなんだ」

息子には私が我慢ばかりしている母に映っているようだった。

もっとどこかにいけ、金を使え、今を楽しめ、親父は母さんに何もしない。

そう言うけれど、なんとなくわかっていると思っていたから逆にこっちが意外だった。

伝えてよかった。

そう思っているんだよ、母さんは。結構満足してるんだぜ。

 

 

キラキラした日々

本を読んでいたら「けして裕福ではないが、戻ってもいいかもなと思える日々だ」という文章があった。

私のそんな時期はいつだったろう。

今もけして裕福ではないが。

 

結婚してすぐの頃、日吉の駅から歩いて30秒のアパートに住んだ。

駅前の商店街には本屋も文房具屋も、ちょっとおしゃれな喫茶店も、蕎麦屋も古本屋も古着屋も八百屋も居酒屋もカラオケ屋もファストフード、小さくなんでも揃っていた。

出張と聞くと「お母さんたちに言わないでよ」と言いその日を満喫した。夫が家にいないと知ると「こっちに来なさい」と言われるからだ。一人暮らしをせずに結婚した私はこの疑似一人暮らしを楽しんだ。

夜、夫から電話で「ごめん、今日遅くなる、飲み会が入った」と連絡が入るともう、何してやろうと、夕方からウキウキ出かける。

まず本屋で立ち読みをし、それから古本屋も覗き、雑貨屋、文房具屋とふらふらしてまた本屋。夜になり仕事帰りの人や学生たちで街が昼とは違う顔になる。それでも早く帰りなさいという人はいない。それから駅前の京樽に行って寿司を買い、甘いお菓子も買って家に戻る。テレビをつけながら、こたつの上で茶巾寿司とおやつを並べて食べても洗い物もない。そのままゴロンと横になる。

24歳だった。

夫は25歳。彼一人の稼ぎで生活していたから生活はキツキツだったがそれすらも楽しい。

スーパーでみかんを買うのが唯一のデザートで、夫のお楽しみは会社帰りに家族経営の小さなスーパーで買ってくる大袋入りの徳用割れ煎餅だった。

結婚する直前の実家には暮れになると父のところに海苔だのティーパックだの、洋菓子だのと届いていたから結婚して初めてそうか、海苔とかお茶っていうのは買うものなのかと思い知った。

鯵の干物、肉じゃが、豚汁、きんぴら。それが日常で夫の誕生日に奮発して刺身を買って手巻き寿司をした。

ドアを開けるとそこがもうガスレンジの2DKの小さな小さな私の世界。

あそこが私の戻ってもいいかもと思うところだ。

 

父の病気の再発と同時に二世帯同居の話が持ち上がり、この生活は二年間で終了した。

そこから怒涛の生活が始まる。でも父の側での生活を選んだことに後悔はない。

 

みかんを買うのがやっとで、夏はスイカを高級品だとうっとり眺めた。

昼間時間を持て余して、あちこち歩き回った。

3時から台所に立ち、夕飯を作った。

風邪をひくと近所の蕎麦屋から出前をとった。実家では出前をとることはほとんどなかったのでこれも初めての体験でワクワクした。

日曜の夜のドラマが二人の楽しみでそれまでにお風呂を済ませて布団を敷いて、テレビの前に並んだ。終わると、明日からまた会社だからと就寝。合宿所のような日々でもあった。

 

今朝起きてみると食事の途中で眠りこけてしまった息子がテーブルの前に腰掛けたまま、口を開け熟睡していた。

お盆にはカピカピになった豚肉と食べかけのクリームシチュー。暖房も加湿器も電気もつけっぱなし。

「ほれ。上に行って寝なさいよ」

「シャワー浴びないと」

そこに夫が寝ぼけて起きてくる。

「ベルギー戦」テレビをつけようとする。

「やめてよぅ。日本戦じゃないし観ようと思ってたんじゃないでしょ。いいから寝てください」

そだな、とまた二階に上がりすぐにイビキをかいた。

まったくもう、どいつもこいつも。

・・・今も悪くない。

今が一番いい。

30年後の私はきっと今現在のこの日々を「戻ってもいいかも」と懐かしむ。