猫のような

そういえば、こうずっと家に夫も息子もいる生活は初めてかもしれない。

お盆や暮れの長期休暇に家族が同時に家に集まることなら、これまでもあった。

しかし、働きながら、オンもオフも常に一緒にいるのはなかった。

大変だ。

自分のリズムなどない。

家族に合わせて動く日々だ。

夫の会議と息子のウェブ面接と授業に合わせて上に下に移動し、食事を用意する毎日も、振り返れば2度と戻らない貴重なものになる。

息子は日々大人になっていく。

面接で外の大人と接する機会を重ねるたびに自分を見つめ、自分を固める。

まだお尻に卵の殻のカケラが残っているが、いつ跳びだっていってもおかしくない。

そう思うと「最近コロッケしないね」と言われりゃ、イソイソ揚げるのだ。

振り返れば夫がいる。

ずっと仕事で早く出て行っては夜遅く帰り、週末は友達との付き合いか個人の勉強だった。

たまの予定のない週末は、一緒にどこかに連れ出すのも気の毒なくらい疲れ果てて寝ている。

いつも私は一人で突っ張ってきたが、家に夫の気配があると何故だろう、ダラダラと昼寝をすることが増えた。

そんなにラブラブ愛してるってわけでもない。

たぶん、私はデリカシーを持ち合わせないやたら丈夫なこの、大きな傘の下で寝ていれば安心だと本能的に知っているんだろう。

この傘の下にいると、自分が何者なのか、生まれてきた使命はなんなのか、生きていていいのか、そんな小難しいことを考える気が失せてくる。

今考えているのは今日の夜の献立のことだけ。

それでいいのか、私。

そんなんでいいのか。

まあいいや。

まあいいか。

どちらも濃紺サッカー生地

朝目が覚めて、いつものようにトイレにいく。

いつものようにズボンを下ろし腰掛ける。

ボー・・・・ん?

膝にあるズボンのウエストゴムのロゴにpoloとある。

ポロとな?私のはユニクロ、ポロは・・・

ザ〜っ!!

額に三本線が降りてくる。

こ、こ、こ、こ、これはっ!夫の!!

と、と、と、ということはっ!

慌てて洗面所に降りてゆく。

早起きの彼が鼻歌まじりに髭を剃っている。

頼む。どうか長ズボンのパジャマを着ていてくれっ。似たような私のリラコが近くにあってもそれではなく、もう一つ脇にあるだろ、しまい損ねたままになっている、君のスウェット上下がっ、そっちを着ていてくれええええ。

「おはよ〜」

フンフンご機嫌で私のリラコを履いた泡だらけの口の夫がそこに立っていた。

ああっ。。

「とっかえっこになっちゃった」

「え?」

「ズボン、それが私ので、私が履いてるのが君の」

「あぁ。どうりで、なんかちっちゃいなあと思ったんだよね、ごめんごめん」

「いや、先にお風呂に入ったのは私だ・・・脱衣所で間違えたのは私だから・・」

なんで気がつかなかったんだろう。

こんな衝撃、久しぶりだ。

しかし、夫が女性Sサイズのリラコを履けたということは、少しはあのお腹も引っ込んできていると言えるのかもしれない。

単身赴任からの帰宅後一年半。パーンと膨れ上がったあのお腹をなんとかせねばと、やれハンバーグにゴボウの笹掻きを入れてみたり、茹で豚をストックしてみたりとあれこれ地道な努力をしてきた甲斐があったというものだ。

そうか。

この履き違えハプニングは、神様が「ほれほれ、効果出ているぞよ」と知らせるために仕組んでくださったものだったのか。

 

・・・ということにした。

おはようございます

ぶっ倒れていたわけではないけれど、体力的に一杯一杯で、ブログ・・ま、今日はいっかぁと休んでおりました。

特にこれといって私の日常、基本的に事件も問題提起も

お知らせしたいお得になる情報とは程遠いので、書かねばならない、伝えねばならないという内容もないのです。

それでも、たった二日の沈黙の間に、心の独り言は溜まっていくのです。

内容の薄いブログなだけに、出来るだけ、記事を書くときには起きた出来事を客観的に書こうと思ってはいるのですが、実はやや疲弊気味なもので、それすらできず、本日はダラダラとただのおしゃべりになりそうです。

世間ではいろんなことが起きています。

宣言解除に、遠い国でのテロだったり、想像を越えたスキャンダルだったり。

あんまり次から次へと起きると、もうびっくりする感覚が麻痺してきそうで怖いです。

スキャンダルについては私はファンでもでもないのに、なぜか悲しかった。

相方さんがラジオの代役を務めると知り、彼のことが心配で聞いて、冒頭で涙ながらに話すのを聞き切なくなったり。

「彼はとっても魂の綺麗な純粋な人よ、ラジオって人柄出るんだから」

と食事時に夫息子に熱弁し

「そうだよ、あの人いい人だよ」

とスルッと流されておりました。

どれもこれもスケールの大きな事象で私個人の思いなど届かない。

けれど、やっぱりマスクも手洗いも、誰かの平和を願う想いも、やがては見えない経路でジワジワと大きなところに影響するんだと信じます。

効果を期待せず、結果を求めず、信じる道をただただ、正しく歩むのみです。

 

そうだそうだ。

これ、話したかったんだ。

歯医者検診で行った木曜日。

午前中、オンラインでお中元の手配をし、送り状を書き、昼食の支度をして時間ギリギリ、疲れ切った頭でお化粧もせず家を飛び出しました。

なんとか間に合い診察椅子の上に辿り着き、やれやれ。

やっと一息だわと、目を閉じ待っていました。

「こんにちわぁ」

衛生士のお姉さんが入ってきました。

「あ、お願いしまぁす」

・・・・・・・。

・・・・・・・。

「あの・・」

「はい?」

なにか。

「お口を・・開けてもらえますか?」

そうでしたそうでした。ここはリラクゼーションフロアではなかった。

歯医者なのだから。開けないと。

恥ずかしかったです。

 

東京は梅雨入りした途端、昨日の31度と打って変わって23度の涼しさです。

庭の紫陽花も嬉しそうに濡れながら咲いています。

コロナだろうがなんだろうが、花はいつものように咲いている。

私もコロナだろうがなんだろうが、へっぽこな失敗を巻き起こしつつ、生きていく。

 

皆様もお身体、無理なさらずにお気をつけください。

ではでは。

へっぽこお便りでした。