丸腰で生きる

最近気がついたこと。

私はなにを恐れているか。

情けないことに自分がカッコ悪いことを気づかずやっている状態に陥っていないか、ということ。のようだ。

生きるのにもっともどうでもいいことだ。

このブログで自分全開にしている。きっと夫より息子より、母より姉より私の心の中の模様を等身大で把握しているのは定期的にこの私などの文を読みにきてくれている人たちだな、とこの前お風呂に浸かりながらぼんやり思った。

家族と言えど、深いところまでなかなか話さない。

上部の付き合いかと言えばそうでもなく、腹が立ったら本気で怒るし、悲しい時は脱力した姿も晒す。

でもこれもそれができるのは夫だけで、息子にもそこまでは出さない。

息子の場合は、どう思われるかなどとは考えたことはないが、私の発言や表情が彼に影響をしてほしくないからだ。

うちの母親は放っておいても平気。困った時はいつでもおいでと笑ってる。頼りにはならないが、なんだか元気にやってるみたいだ。

できることならそう思っていて欲しい。

母と姉には心を閉じた。

大全開、犬がお腹を見せて寝っ転がるように二人にはなんでも相談してきた。友達とのあれこれ、恋愛、あの人にああ言われた、こう言われた。

二人はいつも私に教えてくれた。

けれど、それと同じく、批判もされた。

そして嗤われた。

自分の知らないところで自分の行動を「やれやれ」と言われて笑われている。

それを教えられた時の恥ずかしさ。惨めさ。くやしさ。

日常のなかに普通によくあることだったので、いちいちつっかかると「おとなげない」「神経質だ」とこれまた話題のタネになるので、あるときから受け流すようになった。

そして最近ではそんなことはもうどうでもいいと吹っ切っている。

けれど、ときどき、とんでもないとき、思いもよらないところでその思考癖が顔をだす。

美容院に行った時。ご無沙汰していたママ友にばったり会った時。

その人たちが、自分という人間をどう見ているのか、無防備に会話をして別れたけれど、違和感を感じなかったか、変な人、調子狂う、やりにくい人という印象かもしれないな、といった思いがカラカラカラカラと頭の中で回る。

ま、これが私だしね。

こんな私を面白いという人もどこかにいるだろう。

自分を変えようと思うことはないさ。

自分丸出しでいて、付き合いの続く人たちがきっといる。

・・・夫は大事にしよう。。

いつもそうやって心は落ち着きを取り戻すのだ。

こんな自分をときどき持て余しそうになる。

そしてまた、愛着も深まる。