丸まって日向ぼっこ

もうね。久しぶりに生きてるだけで丸儲けだと実感している朝なのです。

昨日は意味不明の頭痛と吐き気にひたすら時よ過ぎてくれぇと、うずくまって過ごした。

午前中からなんとなく頭がぼんやりするなあと思っていたのだ。

けれども息子の誕生日祝いをする日だったのでつい、あれこれ用意していた。

正確に言うと、ピザだからサラダくらいでいいのだが、姉が仕事でこられないので、姉用に好物の、恒例、鶏のササミフライとミートソースを拵えていた。

夜遅く帰ってきて冷えた食べ残しのピザっていうのも気の毒だ。

ミートソースを多めにつくっておけば私も便利、母も便利。お土産にもたせよう。

朝、雨だったので散歩もラジオ体操もいかず、リズムが狂った。

それをとりかえそうと、あれこれ働く。この性分どうにかしたい。

なにを取り返し、なにの帳尻をあわせるつもりなのか。

とにかく、冷たい台所に立ち続けているうちに頭痛がはじまり、痛いなあと思っていたら吐き気もやってきて、うずくまるのだった。

それでも少しは私も進歩した。夫にロキソニンを買ってきてくれと電話する。

よほどのことでもない限り、夫に電話はしない。いつも仕事中や移動中で周囲の目と耳を意識してそっけなくあしわられる。その度に傷つく。

意地っ張りな性格が「もう頼むものか」と、よろよろなんでも一人で対処した。

こういうときは素直に助けてもらう。そうするのだ。

そして、よけいな期待はしない。

大丈夫かとか、急いで帰るからとか、病人として優しくしてもらおうなどと、よけいなことまで考えず、欲しいものは薬。それだけを頼むのだ。

「あ、はい」

やっぱり夫はそっけなくすぐ電話を切った。

じっと待っていると、ラインが来た。

「薬購入完了。これから帰る。17時45分、駅着です」

彼なりの優しさがこの文面に詰まっている。

ヒヨコが涙目でありがとよ〜と両手を挙げているスタンプを送りまた目を閉じた。

薬が効いて、誕生会はなんとか穏やかに皆が機嫌よく過ごせた。

母はお目付け役の姉がいないからか、いつもより多く食べ、ビールを飲み、よく喋り、長居した。

風呂もはいらず、後片付けもせず、そのままベッドに倒れ込む。

薬が切れて歩く振動でズキズキする。

夜中、三回、トイレでお腹を下した。

 

今朝、運動会の翌日のような疲労感はあるものの、峠を越えた余韻のような怠さだけが残っていた。

どっこも痛くない。

寒気がするのでブランケットにくるまって日向で丸くなる。

ああ、こうしていられるこの環境のありがたさよ。

平安。

結局なにが一番必要なのかと問われたら、心の平安。

体の健やかさもそうだけど、なにより心の穏やかさ。

ミートソースもあるし。カキフライの残りもあるし。

今日はなにもしない。

そうできる今このときに、感謝します。

 

追伸

母は疲れがでていないかと様子を伺いに行くと、玄関に綺麗な格好で立っていた。

「これから二子玉川でお昼なの」

元気でいていくれることにほっとする。安心してぐうたらできる。本当にありがたい。