言うことを聞かない人々

これだけ大雨だ、警戒だと騒いでいるというのに夫は昨晩、うれしそうに

「あ、明日飲み会はいった」

とほっぺを光らせる。

はぁっ?息子と声を揃え抗議したところで聞く耳をもたない。

「飲み会だっていえば仕方ないだろうと思ってるんだよ。相手は一人か二人で、ただ飲みたいだけなんだよ。」

嫌味を言うのはこっちも半分諦めているからせめてもの反発なのだが、それすら容認されたと解釈するのか「ふふふ」と笑う。

「俺たちだって同期会、延期したぞ。なんだ、その会社、常識ない奴らだなあ」

「ふふふ」

門の鍵をかけるからな。

ふふふ。

酔っ払って鍵が出てこなくてインターフォンを何度も押してもだれも出ないからな。

ふふふ。

息子の言い出したら聞かないのはここからきている。

ぐらりとも揺るがない。

 

午後になりいよいよ雨風が強くなってきた。生協さんが発泡スチロールの白い箱を重ねて重い荷物を届けてくれたのが申し訳なく、子供騙しのようでごめんなさいと、カカオ72%のチョコレートを三つ、渡した。

母のところに牛乳を届ける。

椅子にリュックとレインコートが置いてある。

本人は台所で庭の百合を切ってきたのを紙に包んでいるところだった。

「あなたたち、百合はダメなんだものね。この雨でやられちゃうから」

丈のある百合がもげてしまうからその前に切ってきたのだ。

父が亡くなって数日、家で安置していた。親族がわらわら集まってきて、寿司を食べ、酒を飲み、泣き、笑い、泣いた。

私と姉は気忙しく悲しみに浸る余裕もなく、接待をしながら葬儀の準備をした。

その間、家中に百合の香りが充満していた。真っ白な大きな百合の花が父のそばに飾られ、そのむせかえるほどの甘い香りが、父が仏様になった現実をつきつけてきた。

以来、百合は、ダメだ。

「うちで飾れないから吹き矢の先生に差し上げようと思って」

せっせせっせと花の切り口に水を含ませたティッシュを巻きつけている。

ちょっと待て。

「吹き矢、行くの?」

「いきますよ」

まっすぐこっちを見る。

ああこの強い視線。こっちもだ。この人も頑固だ。言い出したらきかない。この大荒れに荒れた天気をものともせず、隣駅の集会所までいくつもりなのだ。中止とか欠席とか微塵もかんがえていない。

この80歳、我が夫の上をいく。

「まさか歩いていくわけじゃないよね」

「え、だって三茶だもん、すぐよ」

いやだって。今日みたいな日は子供を前後ろに乗せて、フード付きのレインコートを着て重い荷物をぶら下げて滑りやすい路面をバランスとりながら走っている自転車がたくさんいるんだよ。そんなところに風にあおられた老人が現れてもうまくよけられないかもしれないよ。

そう説得するが、説得しながら「あ、もう決めてる」とわかる。

「気をつけてよ」

「わかってます」

家に戻る。さらに雨が強くなってきた。これでも行くかと神様が試しているようだ。

さすがにこれはやめるかも。うっすらかすかに願ってみる。

リュックを背負い、両脇に百合の花の包みを抱え、傘を差し、ちゃっちゃちゃっちゃと、たった今、庭を横切って出て行った。

大雨、強風、雷警報・注意報がたった今、区から届く。

頼みますよぉぉ・・・。