お雛様をしまった。4日から発生した冷蔵庫のバタバタを言い訳に飾ったままだった。狭い家なので玄関の靴箱の上にでんっと乗せていた。ここなら家族と少なくとも宅急便屋さんの目に止まる。
息子が仕事で面倒なことが起きて気分が落ちていたので声をかける。
「拝んどくといい、うちのお雛様は強力だぞ。なんたって102まで生きたおばあちゃんのパワーが注入されとるからな」
まんざら嘘でもないと信じている。これを出さなかった歳、私は倒れ、死にかけた。死にかけたけど、生還した。
「いつまで出しておくの、これ」
「本当は終わったらすぐ片付けるっていうけど神様みたいなもんだから、3月いっぱい飾っておこうかな」
そうしろそうしろと、出かけて行った。
そうはいってもなあ。片付ける時って、出す時より慎重になる。疲れてたりしんどかったりするのに、やっちゃわないとと追い詰められて手をつけると、作業が雑になってなんとも勿体無い時間になってしまう。
衣替えに似てる。
できることなら、慈しみつつそのひとときを味わいたい。
今日はまあ体調もいいし、天気もいいし。晩御飯の支度もできてるし。
サッパリケロケロした性格だった祖母が、しんみり私のことを思いながら涙を浮かべて作ってくれたとは到底思えない。
きっと彼女のことだから「いいこと思いついたっ!」とワクワクしながら一日講習会に参加してくれたのだろう。
手先のことの上手な人だった。母が入院した時にもウサギの人形を作ってくれた。
きっとこのお雛様も自分が楽しいから、ちょうどいいお祝いにもなる、と思いついてくれたのだ。
それでも受け取った方は勝手におセンチになる。
人形の髪も、着物の布も祖母が触った。包んできてくれた時の紙袋ももうボロボロになっているが、捨てられない。あの日のあの瞬間の気持ちを思い出す。お相撲観戦に行った時にお弁当が包んであったと言っていた風呂敷。青と白のグラデーションで安っぽいナイロンにはきゅっと縛られた時の皺が残っている。ここを握ったんだ。
柔らかい紙でお顔をくるみ、それから和紙で全体を包む。誰もいないリビングで祖母と繋がろうと静かに箱に収めた。
今年は丁寧にできた。
疲れてるけどやっちゃわないとと、荒っぽくしまう年もあった。
今年は、お雛様と仲良くご挨拶をできた気がする。