私を包んでいるもの

母のところにヤクルトを届け、帰ろうとすると呼び止められた。

「ちょっと待って、あなたにもらって欲しい物、あるんだ」

階段を大急ぎで上がって行った。

今度はなんだ。あまり奇抜な物じゃありませんようにと念じなら待つ。

「お友達と買い物に行った時にお付き合いで買ったんだけど、私には小さくて着づらいのよ、あなたなら入るでしょ」

ブランドのバーゲンだったかったから品物はいいと差し出す。

ファッション音痴なのでロゴを見せられてもどこのなんだかわからない。確かに手触りはいい。

スグリーンのフリース。見覚えがある。これ、数年前のものでは。若干、生地の表面が毛羽立っている。さては飽きたのだな。

今、私が着ているピンクのフリースも同じ流れで私のところにやってきた。

これも確か、その友達との付き合いで買ったと言っていた。

息子さんの会社の取り扱っている商品のバーゲンに誘われて行き、手ぶらで帰るわけにはいかないと適当に見繕って買ったが「やっぱりアタシ、こういうの着ないのよ。いいものなのよ」と持ってきたのが今着ているピンクである。

息子さんの会社はアウトドア用品を扱っているのだ。もう、そのバーゲン、よしなさい。

 

悪いと思っているのか、それともありがたみをつけたいのか、いつも必ずいいものだと付け加える。

襟元スパンコールのピンクのアンサンブルは未だ、私の箪笥の中で眠っている。あれは正直持て余している。

以来、見た瞬間、これは・・・と思うものは強固に断ることにしている。

ムッとして、あの服に合う、お医者さんに行く時にはこれくらいの格好をしないとなどとあちらも粘るがこちらも負けない。

「これは、着ません」

「あら、そ。じゃ、恵子ちゃんにあげるわ」

「是非。」

「失礼ねっ、あなた知らないだけで、これ、いいものなのよっ」

「庶民には必要のない品でございます」

 

今回のモスグリーンは惜しげなく即、着られそうなのでもらうことにした。

かといって、嬉しいってわけでもない。店頭で見かけても近づかないだろう。

そういうものが私のタンスに溜まっていく。

「要らなきゃ捨ててくれていいから」

そういうものを買ってくるんじゃない。

 

子供の頃、給食で残した食パンを、母が一人の昼ごはんにせっせと食べていた。

あなたのパンのおかげで駅前の美味しそうなパン屋さんに行けないと、よく小言を言っていた。

あれの恩返しだ。

昨日はピンク、今日はモスグリーン、その下には祖母の形見のカシミア。

皆様の上等な古着は恐ろしいほど長持ちする。それを組み合わせ着ている全身がいかにも自分らしく、ちょっとおかしい。

こういうのも悪くない。