なますの歴史に加わる1ページ

昨日はおなますと伊達巻。並行して晩のカレーを作る。

なますは、実のところ家族は好まない。夫は出せば食すが、息子に至っては箸もつけない。

これに対し実家の方では、おなますは外せない。必ず作る。姉の好物なので、今年も母はせっせと大きなボールに山ほど作るだろう。そして、良かれと思ってうちにも持ってくるだろう。

ちょっとでいいよ、うち、みんなそれほど食べないから。

あら、体にいのよ、あなた食べればいいじゃない。

とても一人じゃ食べきれないほどの量を瓶に詰めて手渡されれば断れない。この半分でいいと言えば機嫌が悪くなる。

穏やかに穏やかに。

自分で作ったものが残されるのは諦めもつくが、母の手料理がいつまでも冷蔵庫に残っていると妙なプレッシャーを感じる。

ツンとしたお酢の香りが、扉を開けるたびにすると、早く消費せねばなあと次第に重荷になってくるのだ。

調べてみると、おなますにはにんじん大根の紅白を水引に見立て、家族の平和を祈願する意味合いがあるという。

そう知ってしまうと、外すのにもまた抵抗を感じる。

そこで、じゃあ少量、自分で作ろうと思ったのだった。

母は包丁で細かい千切りにしていたが、とてもそんな技はない。スライサーでシュッシュッ。

しかしそれでも、一定量が出来上がるまで結構めんどくさい。

これをボール一杯作ってたんだなあ。それを迷惑がられちゃそりゃ腹も立つわなぁ。

シュッシュッ。

大根半分、人参半分の小さな山ができた。塩をして、しんなりしたところを絞る。そしてお酢と砂糖とちょっとの塩。ゆず。

我が家は酢飯もきんぴらも、ちょっと甘めが好きなので実家のより若干砂糖を効かせた。

浅漬けを嫌がるからお酢は控えめがいいんだろう。私には物足りないが、きっとこっち。

胡麻は大量に入れる。お稲荷さんもきんぴらも、お煎餅も胡麻が好きな男たち。

見た目は同じだが、若干、我が家流の味付けのものが出来上がった。

母が大量に作る前にと実家にいく。もしこれでよければ、少し分けようか。

「おなます、もう作っちゃった?」

「まだ。これから作ろうと思って今、買ってきてもらったとこ」

「そう、じゃあ今年はうちの分はもう作ったらかいらないよ。お姉さんとお母さんの分だけで」

気を悪くするかと思ったが、母はちょっとホッとしたような顔をした。

ちょうど休みで買い出しから戻ってきたところの姉がそこにいた。

「うちは京人参を買ってきたんですの。本格的ですのよ」

80になる母は今年も姉のために現役で台所に立つ。おそらく、大晦日はこれまた姉の好物のくわいの天ぷらを揚げるのだ。

ぶつぶつ言いながら、そうできる幸せを彼女も味わっているのかもしれない。