もはや親族

ラジオを聴いていて一人、憤る。

朝のラジオ番組のパーソナリティが脳の手術をしてしばらく休み復帰した。

彼の軽妙で暖かくちょっと繊細で、でも剽軽でテンポのいい話し方とその声が好きで、結婚した当初からずっと聴いている。

私のようなリスナーはたくさんいて、彼が番組を移るたび、それを追いかけるようについてくる。

次第に彼の番組には不思議な家族感のような空気感が生まれ、それを感じるのがまた、心地よいのだ。

兄貴のようなパーソナリティのところに集う常連のリスナー達の近況を聴くのは親戚の集まりに参加して隅っこで大人の話を聞いているようで落ち着く。

その彼が入院となった。みな、励まし、こっちはいいからゆっくり休めと言い、頑張れと送り出し、そして祈った。

彼は思ったより早く戻ってきた。

心配で嬉しくて、でも心配で。少しづつ声がつよく、勢いがでてくると安心する。そして後からどっと疲れが出ないかと余計なお世話の心配をする。

相変わらず陽気に話す優しい面白いお兄ちゃん。でもどれだけの不安と恐怖と闘った日々だったろう。そしてこの先も彼はその恐怖を抱えてマイクの前に腰掛けて生きていく。

死を身近に感じつつ、視線を上に向けて歩くことにどれだけのエネルギーがいるのか。

私はヘナチョコだから数年、かかった。今でも体調が崩れると気持ちが引っ張られて危うくなる。

兄貴はそれをたった半月でやってのける。

無理はしません、このまま無様なままをさらけだしてやっていきますんで。

わざと明るい声で言う。

自分を奮い立たせ、エンジンをふかし、走る。

毎朝その声が聴こえることが私の力になる。

私だって頑張るぞ。そう思う。

弱った彼が以前に増して勇気をくれる存在になった。

きっと魂レベルでパワーアップして帰ってきたのだ。

なんでこんなこと書いているかと言うと、今日、オマエ、病気の話ばっかりじゃねえかというお声を頂戴しましてね、と番組の中でと言ったから。

いやあ、もう僕はこのまんまを曝け出していくって決めたんでね。それでも僕が感じたことのまだ二割も話していない。

言われた本人はサラッと毅然と返してカッコいいのに、なぜか私がこれに強く反応した。

わかんねえのかよ、おめえ。この生きる姿勢がっ。健気さがっ。美しさがっ。

思うのは自由だけどどうしていちいちメールしてまで伝えるかなあ。センスねえな!

ハー。すっきりした。

ようはこのモヤモヤを言いたかったのです。

うちのお兄ちゃんはカッコいいのだ。