私の憧れ

銀杏があの独特の匂いをさせて転がっている。

金木犀の香りがお父さんなのに対して銀杏は母方の祖母を思い出させる。

毎年近所の銀杏並木の下で拾い、同居していたお嫁さんに嫌がられた。

アスファルトの歩道の脇に生えた蓬を見つけ、摘んで草団子を作って持ってきてくれるような人だった。

それは季節の行事だとかそんなしきたりめいたものではなく、ただもう砂場のお団子遊びのように思いついちゃったらやめられない、という無邪気な衝動なのだった。

大人で常識人のお嫁さんや、うちの母親に迷惑だと叱られても

「あら、そう」

と言ってケロッとしてる.。そして私の方を向いて

「しかられちゃった」

とペロッと舌を出す。

今にして思うとあの、ペロッと舌を出して笑い飛ばす豪快さは祖母の一番の魅力だった。

傷ついているのか、いないのか。届いているのかいないのか。

心に沁みているのかいないのか。

私はずっと、この人は何を言われてもけろりとしてていいなあと思っていたがそんな人、いるんだろうか。

どこかで沁みて、どこかで泣いて、どこかでやるせない気持ちを処理していたはずだ。

それでも好きに生きていく。光の方に伸びていく植物のように楽しい方へワクワクする方へ向かっていく。

母からもらったお小遣いを、その帰り道にすぐにデパートでバッグに変えた。

それを聞いた母は腹を立てた。

人が生活に困っているだろうと、ちょっと無理した額のお金を渡したのに、あの人は何にもわかっていない。

無邪気はときどき大人をざわつかせた。

祖母は親戚の間で問題児のように囁かれることもよくあった。

 

102歳の祖母の最期の話が私は大好きだ。

末っ子の叔父がいよいよ息が荒くなりこの世を去ろうとしているまさにそのとき、感極まって呼びかけた。

「おふくろ、今までありがとうっ」

40代で未亡人になり、子供三人を育てた。その間には反抗期も、わだかまりも、あれこれあった。

叔父は老人ホームに入れたこと、お嫁さんとの衝突から守りきれなかったこと、大好きなお母さんに全ての想いを込めて叫んだはずだ。

祖母は小さく頷き涙をスーッと・・・ではなかったのだ。

酸素マスクをしながら、それまで半開きだった目をぐっと開き、右手でOKサインをした。そして、息を引き取った。

オッケー、わかったよ、大丈夫、わかったから。

どこまでも、シリアスにならない人だった。

カッコいいぜ。

憧れだ。