24の秋

息子がジムの帰りにちょっと服を見てくると言って出ていった。大学四年就職が決まってから、彼はガラリと変わった。

YouTubeで金銭感覚と服の好みの合うアドバイザーを見つけ、その人の買ってよかったと紹介する服を買い、髪は表参道の美容院、そしてジム通い。美容師さんの強力な勧めでメガネをコンタクトにと、側で見ていても段々とあかぬけていくのがわかった。

中高大と衣服も靴も、私が適当に買ってきたものを間に合わせに着て、運動もせず部屋に篭り漫画とゲームと、学校の課題という地味な生活だったから、この人はオタク的生活を好むタイプなのだと思っていたが、今思うとあれは長い長い繭の時代だったのかもしれない。

あの部屋の中で自分の方向性や世界に飛び立つ準備を考えていたのだろうか。

それにしてもやることが極端すぎる。表参道の個人の美容師なんて、よく行く気になったものだ。それまで1000円カットだったというのに。

エンタメ業界に進むというのにも驚いた。

そこに見合う自分であろうと、そうなるんだと、えいやっと部屋から飛び出した。

相変わらず些細なことにいちいち引っかかって憤慨し、傷つき、深いため息もつく。

細かく反応して疲れてしまうのは母親譲りかと申し訳なく感じていたが、いつのまにか私なんぞのメンタルをはるか飛び越え、図太くやりあっているようだ。

俺、友達いないからと冗談で笑うが、先輩と仕事の愚痴を言いながら食事をしてきたりする。

一人で生きていない。家族以外のところでもだれかと交流し、生きている。それが嬉しい。

もう彼に対して必要以上に言葉を選んだり気を遣って庇ってやることはいらないのだな。

それでも今だときどき

「なぁんの心配もいらないな」

と確認をするかのように脈略もなく言ってくる。

「いらないよ。すべていい方向に向かってる。そもそも何にそんなに心配してるの?具体的になにを恐れてるの?」

「それはさあ。ただ漠然と。俺の未来はどうなっちゃうんだろうと。」

「それなら大丈夫。それは標準装備の不安だから誰もがうっすら考えてることだから。

その悩みは解答はないから、無いに等しい。今を一生懸命やってればいい方向に繋がっていくようにできてるから。」

ふふんと、半笑いで風呂に行く。

もはや私に言うあれこれも、ただ言ってみてるだけのコミュニケーションに過ぎない。

ねえねえあのさと、答えを求められるのは、「この素材、洗濯機で洗える?」そういったことぐらいになってきた。