朝、富士山がくっきり光っていた。気持ちが弾む。富士山ってすごい。
存在しているだけで励まされる。
見えるとそれだけで嬉しい。
父が最期に入院した数週間もそうだった。
もう立ち上がれず、小さくなっていても父は父なのだ。
私は夕食の支度を済ませると毎日、バスに乗って2歳の息子と病院に通った。
いつ、消えてしまうかわからない、いつ、会話のやり取りができなくなるかわからない。
いつ、旅立ってしまうか。
それを見透かしたかのように父は毎日やってくる私に向かって
「俺のことを、パンダかなんかだと思ってやがるな」
と笑った。
「パンダの方が可愛いわよ」
憎まれ口を喜んだ。
リビングの壁に父が生後5ヶ月の息子を抱いて笑っている写真が掛けてある。
気難しく、近寄りづらいこともあった人なのに、そこからは私の好きだったお父さんの頼もしさと安心感と優しさと茶目っ気しか感じられない。
毎日、目に入る。
ちょっとだけ、気持ちが落ち着く。救われる時もある。
笑ってこっちを見ている父がそこにいる。
お父さんは富士山だ。
富士山はお父さんだ。