ばからしく

Amazonプライムのドラマ、「This is us 6]を見終わった。

なんだかしんみりしてしまった。余韻で亡くなった父とのことを思い出す。

立派な人だった。

もっと懐に飛び込んで、いろいろ話したかった。父が亡くなるその年の初夏、庭でまだ2歳だった息子が遊ぶのを二人で眺めていた。

並んで座っていたが二人とも照れ屋で黙っていた。

私はもう時間が少ないことを知っていたのでなんと会話をしたらいいかと空気を探っていたような気がする。

「人生はあっという間だよ」

余命のことは本人には黙っていたのに不意にそんなことを言うのでドキッとした。

「そう?年齢を重ねるとそんな心境になるものですか」

とぼけて明るく返事をすると今度はゆっくり、繰り返した。

「本当。あっという間だよ」

それが今でも耳に残っている。その横顔も。

それから二ヶ月後、亡くなった。

父は私のことをよく見ていた。私が痩せ始めたのに最初に気がついたのも父だった。

下手なピアノを弾いていると初心者向けの楽譜本を買ってきた。

「俺が練習しようかと思って買ったけど、やっぱ、やらねぇから、あげる」

普段は堅苦しいのに、照れくさいとわざと乱暴な、江戸っ子ぶった口調で話すのだった。

あれは最初から私にと買ったのだ。

私のことを遠くから眺めて、ときどきポツッと言う。

大学生の時、私の課題の絵を見て、母に「あいつ、相当弱っている」と言ったのも、「あいつに宗教は近づけるな」と言ったのも鋭いところをついていて焦った。

なによりも母を愛し、なにをするのも母が一番だった。

その父がよく私に言っていたのは「お前は本当に面白いやつだなあ」。

その言葉を聞くたびに、馬鹿でなにをするにもどんくさい自分が特別な存在に思えて嬉しかった。

結婚をし、子育てをし、母との葛藤が始まった頃から私は変わってしまった。

馬鹿にされぬよう、かしこく思われるよう、認められるようにと尖った。

父の病気が進んでいたあの時期、私はなんともったいない過ごし方をしたのだろう。

 

ドラマは主人公達が抱える家族間の課題をのりきりながら、最後は調和して母親を看取るという筋だったから、最後は辛かった。

彼らも互いにコンプレックスを抱え、親とうまくいかない時期があり、苦しんだが、別れまでには間に合った。

私は間に合わなかった。やっぱり鈍臭い。

 

もう、せつなくなる作品はよそう。

キューンとするあの感情。求めてしまうのはなんだろう。

ときどき心揺さぶられて、ああ生きていると実感したいからだろうか。

もう、そんなのいらない。充分自分の人生でキューンとした。切ない思いもした。

「修行僧になるなよ」

あの日、父が残した言葉の意味が今頃響く。

深刻になってあれこれ悩み、思い巡らすのが高尚な生き方をしている証だと勘違いしていた。

おっきらくに。

からしく。

自分で自分を笑って。

天国で父にあったときに「おまえ、後半戦、相当馬鹿なことやってたなぁ」と嬉しそうに笑われたい。

「いろいろ大変だったなあ」なんて言われないように。