節分。我が家では恵方巻きは食べない。
理由は自分も夫もその習慣がなく育ったので。テレビでそういった情報が流れ始めた頃、いっときのブームかと思っていたが、もうすっかり定着している。
クリスマスツリーも自分の家庭ではなかったので飾らないままここまできてしまったが、今となっては少し、後悔している。
ハロウィーンのようにこの習慣も日本のそれとしてこれからも行うのだと思うと、変に意地を張らずにここいらで一緒になって楽しもうかと考えた。
「今年はうちも食べようか」
息子に聞いた。夫はきっと喜ぶ。聞いたらノリノリにはしゃいでめんどくさいので息子だけがいる時に話した。
「え、毎年やってないのになんで」
酢飯は好きなのに干瓢の入った太巻きは苦手なものだからちょっと嫌な声を出した。
「豆さえ撒けばいいよ」
数年前の夫の単身赴任から我が家と隣の実家の豆まきは息子の担当になった。
その昔は父だった。
近所に響き渡るような大声をわざと出し、派手にやるのを母は恥ずかしがったが、私はそれが好きだった。もう絶対鬼は来ない。嬉しくてそれをついて回った。
二世帯同居になり、息子が産まれると男二人、夫と父の役目となった。
相変わらず大きな声の父の横で恥ずかしそうに笑いながら、声を出す夫。
「そんな声じゃ鬼が戻ってきてしまいますっ」
わざとからかって笑い、やり直しを命ずる父に夫は照れながらもう一度大きな声を出す。
翌朝、勝手口と庭にばら撒かれた豆を掃き集めるのが私と母の仕事だった。
父が亡くなると、夫がチビ助の息子を引き連れて豆をまく。
祭りのように賑やかに続いた時代は終わり、我が家の節分はいきなり声が小さくなった。夫は恥ずかしいけれど、やりたい。やりたいけれど恥ずかしい。
母がもっと陽気にやりなさいと言うができない。仕方がないので私が後ろから大声で近所中に響き渡る声で鬼を追っ払う。
息子が大学に上がった年、夫が兵庫に単身赴任になった。
もういい青年の息子の後ろから私が出しゃばって叫ぶわけにはいかない。
思春期と反抗期の卵のかけらをまだお尻に引っ掛けている時期だった。豆まきをしてくれるかと頼みながら断られたら無理強いしないで私がやろうと決めていた。
意外なことに「何時に帰って来ればいい」と答えた。
夫よりさらに小さな呟くような声でパラパラと豆を巻く。
母も昔のようにやり直しを求めない。孫に嫌われたくないのと、年をとり掃除が面倒になってささっと終わらせてしまいたくなったのと、どちらもなのだ。
「お仏壇の部屋とお勝手口と玄関だけでいいわ」
孫の後ろをついてまわる母ははしゃいでいる。
そして最後、お仏壇の前に行ってお参りしてらっしゃい。と息子を行かせると、そこにはポチ袋が置かれているのだ。
お駄賃というのかお礼というのか。1000円札が入っている。
「なんかこれもらった」
「時給よすぎ。甘やかして」
このやりとりも近年、恒例となっている。
今年は男二人が家に居る。
どちらが主導権を握るのだ。
ポチ袋はいくつ置かれているのか。
夫はやる気満々。
息子はすでに自分の役目のつもりでいる。
照れ臭そうな二人の声がコロナも鬼も追っ払う今夜。