ソフトの上書き

無意識のうちに自分をジャッジする癖はだいぶ抜けてきた。

人からの評価もそう気にならない。

他人の目なんてあるようでないようなものだ。

根強く私を翻弄するのは母からの何気ない言葉と姉からのコメント。

二人は後から家族に加わった私を指導する対象と扱ってきた。

守り庇護する対象だから、間違った行いをしないように導いてやらないと。

それは愛なのだ。が、最近思う。

彼女たちが導く方向は彼女たちの思う正解なのだ。

それは間違いでもないが、正解でもない。

本当のマコトなんてどこにもないのだから。

たまたま家族の中で考え方や発想の違う、毛色の違う子がやってきた。

勉強や読書よりも空想してお話を作ったり、友達とおしゃべりしたり暗くなるまで缶蹴りしたり虫捕りしたりするのが好き。

面白い子だねえと眺めていてもよかったのだ。

それじゃあいけないとなんとか軌道修正させようとあれこれ言葉をかけた。

毛色の違う子供はだんだん自分は間違っているんだと理解した。

 

別に恨んでるんじゃない。

ただそれだけ。

そういう経緯からいつも自分は正しいか、これで合っているのかと気にするようになったのだ。

自分の本当に過ごしたいようにしているとなんとなく罪悪感があるのはそのせいだ。

そういうことだったのだ。

なぁんだ。

やっと気がついてきた。

 

なにが正解もなければ、なにが間違いもないのだ。

つまり私のやり方も正解でもなければ間違いでもない。

そういうのがあるってだけ。

だから同じように母や姉が私に言う言葉もその方法も失敗でもないし正解でもない。

ただそう思っているだけ。

 

私が私をジャッジする癖も別にいけないことじゃないけれど

やっててしんどいからもうやめよう。

野放しにしたって大丈夫。

取り返しのつかないことは起きない。

繰り返しそう唱えてさっさと腑に落とそう。