いいじゃんいいじゃん、無理矢理自己肯定

日が暮れてゆく。

なーんもせんで、どこにも行かんで、暮れてゆく。

虚しい。

ついこの前まで、ヨタヨタ歩きで、1日ぐったり過ごすことでやっとだったのに、ちょっと楽になってくると欲が出る。

「今日は何々をして過ごした」

という何かを求めてしまうのだ。

生産的な何かじゃなくていい、たとえそれが録画していたドラマを観たでもコミックを読んだでもいいんだ、何か、集中して没頭した時間があることを望んでしまうのだが、そんな時間のないまま外は真っ暗になってしまった。

なってしまったと言いながら実はホッとしている。

ああ、やれやれやっと今日が終わる。持て余した時間もあと少し。あとはご飯食べてお風呂入って、夫のご飯を出して、ごろごろしたら寝る時間になる。

あと少しで今日の無益な時間と向き合う時間も終わる。

 

なぜか、何にもやる気にならない。

映画もしんどい。

本もかったるい。

ラジオもうるさい。

テレビもうるさい。

散歩は行ってはいけないと母が見張っている。

ドトールなんてコロナの今、持ってのほか。

それでは今日はどうやって時間を潰していたのか。

洗濯とトイレ掃除と風呂掃除をしたら、どかっとリビングに敷いた布団の上に座り、Phoneのゲームをしていた。

時々飽きたらAmazonのビデオをつけて何かないかとあちこち探す。どれもこれもつまらなく思え気分がのらず、読みかけの本を広げる。

エッセイなんだが、偶然その作者もいきなり病気になった。しかしその考え方や行動が、肝が座っていて、締め切り間際の作品を根性で仕上げ、身の回りにいる家族や友人への眼差しも愛情深いなあ・・・などと感じる。そのたびに、じわじわと自己嫌悪に陥り、慌ててて本を閉じる。

またリモコンをとり、テレビをつける。暗いニュースをワイワイ騒いでいるのが鬱陶しくて消す。それでまた、ゲームをする。

頭を使うゲームに疲れ、ついにジグゾーパズルまでダウンロードし、やり始める。が、集中力が続かず。

本も映画もドラマも、登場人物の発言や行動に没頭しないでその合間に余計なことを考えてしまう。

偉いなあ。可愛いなあ。ああ、こんなインテリア素敵だなあ。

ここから。

ここからが余計なのだ。

「それに比べて私は」

この無意識のジャッジがついてくる。癖のように自分をジャッジして落ち込む。

はあ。

それでゲームに逃げる。その間は何も考えないから。

しかし、これにも罠がある。夢中になっている真っ最中にはっと我に返り

「こんなことやって何になるんだ」

と、ドヨーンの穴に落っこちる。

 

食べて寝て、起きて、食べて寝る。・

それでいいじゃんか。

無理矢理そうやって自己肯定に努める日々である。

たぶん、明日もこんな感じで日が暮れる。

いいじゃんいいじゃん。

起きて食べて掃除洗濯して風呂入って寝る。

時々家族と話して。

あれ、書いてみたら本当にそれでいいって思えてきた。