めんどくせぇんだよ

最近、ちょいちょい息子に向かって、素を出す。

元々夫には感情をぶつけてきたが、それでも我慢我慢を重ねた上で、もうダメだとなり、ドカンと爆弾投下するという、感情押し殺し派だ。

腹を立てているののは己が我儘だからではないか。

この言い分を誰が聞いても、あんまりだと共感するほどの事態だろうか。

と、どっから見ても私、そんなおかしなこと言ってないよねと思えてから「では。一発」と落とすよう心がけてきた。

イライラ怒っているのが嫌なんだ。

そういう自分にガッカリする。

できることならいつものんびり平和な人でいたい。

つまり、我慢するのも、あまり怒らないのも「こうありたい自分」のためなのである。

それでも夫や息子が訳わからないこと、例えば、知らないふりをしているのを良いことにずっと適当な嘘をつき続けるだとか(夫年末、妻にいい加減にしろっと怒られる事件)、どう考えても起こりようもない心配事をいつまでもいつまでもくどくど言い続けてくるとか(息子、今のところイライラしながらも辛抱強く対応するよう努めている)をふっかけてきて、それが長期に渡ってくると、大切にしていた「こうありたい像」もぶっ飛ぶ。

近頃そのぶっ飛び頻度が上がっている。

浮腫発生と明らかにリンクしている気がする。

いかんいかんと、思いつつ、も、知ったこっちゃない、やってらんねぇと、柄の悪い私が奥の方からむくむく顔を出す。

夫にはこれまで何度か爆発したことはあるが、細心の注意を払って接してきた息子への対処がここ最近、うまくいかない。

昨日も卒論の仕上げの最中に、引用記事を載せた記事を更に引用したことを、どう参考文献に表記するかの問題で、

「これで意味わかるかなあ。もし、これで理解されなくて受理されなかったらどうしよう」

と見せに来たので、その表記を確認しながら大丈夫大丈夫と答えた。

この段階で、私はすでに「また始まった」とうんざりしているが、全身全霊で、穏やかに大丈夫だよと言う。

すると

「もし、これがダメで卒業できなくなったらどうしよう、卒業できたとしても、この論文の評価が悪くて就職取り消しになったらどうしよう」

と青ざめる。

念のためにお伝えするが、本人は冗談半分ではない。

本気の大真面目なのだ。

本気の大真面目だからこそ、これまではこちらも誠意ある対応を心がけ、優しく丁寧に根気よく「そんな心配はいらないよ、だってさ・・」とその不安がいかに現実離れしているかを説いてきた。

苛立ちよりも母性が優っていたのだ。

この子にはこの子なりの発想があるんだ。たとえ私に理解できなくてもその不安に寄り添おう。

しかし、奴ももういい大人である。

もう、その辺は勝手にやってくれ、あたしゃ疲れた。

第一、一人の入社予定の学生の論文の参考文献の表記まで企業がチェックするなんてこと、あるわけがない。

よかれと思って接してきた私の誠意は裏目に出たのか、彼の不安症は一向に改善されずむしろ、癖として定着してしまった。・・・磨きをかけて・・。

なぜかターゲットは私だけなのも辛い。

不安と愚痴を追っかけながら聞かされるこちらの身にもなってほしい。

あんまり面倒なので聞こえないふりをすると

「なんで無視するんだよ」

とこれまためんどくさい。

「知らないよ、もう。大丈夫って言ったよねぇ!」

つい、荒げた声を出してしまった。

あら?意外とすっきり。

「なんだよ、なんで困ってる俺が怒られなくちゃなんないんだよ」

甘ったれの馬鹿者はふてくされる。

知るものか。

「怒ってない、うんざりしてるんだ」

勢いに乗ってこう返した。

「なんだよッ」

反抗期の頃よく見せた荒々しい足取りでドアをバタンと閉め、階段を上がって自室のドアをこれまたバタンっと閉めた。

ちょっと可哀想だったか・・。

でも、なんなの、この軽い感じ、開放感。

22歳の青年は時に、大人の視線で母を労り庇う。

と、同時にその母に不平不満不安をぶちまけ、心の安定を測ろうとする。

それに対する51歳の私は。

もう、これ以上は自分でやっとくれと、投げ出してみたり、いやいや、ちょっとあれは気の毒だったと反省してみたりと、揺れている。