デート

昨日、珍しく予定のない夫が「買い物、車で行こうか」と言い出した。

運転のできない私は夫の運転でスーパーに行けるのはとても助かる。

普段なら重さを気にして手に取らない徳用サイズの液体洗剤も、迷わず買える。醤油も砂糖も小麦粉もシャンプーもそろそろあやしい。キャベツもトマトも牛乳も買っておこう。

正直、ラジオ体操から帰って食事の用意と洗濯をしたらぐったりだったが、せっかく夫が私にサービスしようとしてくれているのだ。ありがたく乗っておこう。

「どこいく」

え。近所のスーパーじゃないの。

「ちょっとドライブしよう」

じゃあおまかせで。

「トンさん喜ぶからどっか大きな本屋行こう」

今、読みかけの本があるからいいんだけどなあ。しんどいからパッと買い物だけ済ませてはやく帰りたいんだけどなあ。

日本橋丸善を目指すことになった。

道中、真っ正面から日差しを浴びる車内はたった今冷房を入れたばかりで熱がこもっている。灼熱だ。

じっと耐える。気分転換にせめてもと、ラジオをいつも聴いている番組に合わせると

「これ、変えていい?」

「いいよ」。

まったく好みでない内容の会話と音楽が流れる灼熱地獄の車内。

「ねえ、なんでこの道行くの」

あきらかに方向がおかしい。ナビも戸惑って無言になっている。

「なんか、こっちの方がいい気がして」

始まってしまった。方向音痴のくせにナビの言うことをきかない。支持されている道が少しでも詰まっていると、目に入った脇道に入っていこうとする。

土地勘があるでもなく、やみくもに突き進むので車はどんどん目的地から遠ざかる。

気がつくと日本橋から大きく外れ、銀座、京橋、新橋、また銀座、東銀座とぐるぐる回っている。

車内はようやくエアコンが効いてきたが、今度は真横から陽が当たる。見ると夫の方は日陰でエアコンの風がブンブン届き襟元がすこし揺れている。

この前乗った時、私が「エアコンの風が直接あたって寒い」と言ったので向きを変えたのだった。そうだった。

車はとうとう東京駅の前まで来てしまった。

「もう、丸善はあきらめよう」

「なんで、行こうよ、すぐそこだよ」

そうだ。すぐそこなのだ。さっきからずっと、すぐそこなのだ。これできっとようやく近くまで行ったら一番安い駐車場にとめるんだと、彷徨うのだ。そしてそう簡単に格安駐車場は連休の真っ昼間、観光客で賑わうお江戸日本橋では見つからない。しかし、夫はそうは思っていない。

このあたりから私はぐったりとして、闘う意欲もない。

なるようになれ。

彼は喜ばそうとよかれと思って運転しているのだ。・・・ろう。

「じゃあ神保町見て、帰ろう:

「そうだね、そうしよっか」

神保町と私が言い出すと、あっさり方向転換した。あの街並みを見れば妻の心が弾むと知っているのだ。神保町は、妥協ではない。

東京駅からお堀の周りを走り、竹橋の毎日新聞社前に来た。そのひとつ手前で曲がれば私たちが結婚した会館があるのにと思ったが、まあよい。

「なつかしいね。よくここ、走ったね。トンさんを送って帰るとき」

はしゃぐ夫が気がついた。

「あれ、僕たちの結婚式の場所、たしかここにあったはずなのに、もうなくなったのかな」

「さっきの交差点・・・」

もう通り過ぎたところを右折したところにあると、遠くに見える建物を指差した。

そして今現在いる場所を右折すれば私の通っていた高校、中学、大学のそれぞれの校舎、住んでいた家を通過する。

しかし車は直進した。

「あれ、そろそろトンさんの家のあった場所」

「・・・さっきのとこ右折・・・」

軽く熱中症になっていたのかもしれない。シートベルトがきつく気持ち悪い。吐き気がする。

もはやこれは拷問に近い。

「戻らなくていい、もどらなくて。もうスーパーによって帰りたい。早く家に着きたい」

「そう?わかった。オッケー。了解〜」

ああ、やっと軌道修正された。いくらなんでもここからは道を外しようにもない。ひたすら国道246を進むのみだ。

懐かしい交差点が見えてきた。ほっとする。ここをあともう一つ先の交差点で左折すればいつものお馴染みのところにたどりつく。

そのときだった。

車はまさかの、反対方向へと路線変更のカーブをした。

「なになになに、なんで?」

「あっちのスーパーに行こうと思って。」

非日常を演出しようとしてくれたのだろう。良かれと思っての彼なりのサービスなのだ。

「早く家に帰りたいっていったじゃーん」

泣きそうだった。限界だったのだ。

もういいとにかくここで降ろしてくれと先に飛び降り、店の2階のトイレに駆け込む。

店内の冷房が全てを癒してくれる。

避難所のようだ。

あとから来た夫と合流し朦朧としながらカゴに食材を入れていくが、なにしろ慣れない店なのでなにがどこにあるのかさっぱりわからない。

いつもならこの辺りかと探せばたいてい見つけられるのだが、思考が働かない。

もう、どうでもいい。なんでもいい。

茄子とピーマンと卵、洗剤、レタス、シャンプー。

そして、経口保水液。

駐車場に戻り夫が精算を済ませている間にグビグビ飲んだ。

ぼんやりぼんやり頭が動き出す。体も楽になっていくのがわかる。

 

帰ってからピーマンと茄子と鶏肉を市販のトマトソースで煮込むと横たわる。

「ねえ、ここにあるお煎餅、食べていい?」

好きにしてくれ。

「あ、ここにあるオールレーズンっての、食べていい?」

どーぞ。

「今日、楽しかったねぇ。デートしたね」

なんにせよ、二人で一緒に過ごしたのはひさしぶりだった。

楽しかったかと問われれば、頷きはしないが、でもやっぱり行ってよかったと、翌朝になってそう思う。