お二人でどうぞ

息子が社会人になろうと、夫も息子も揃って家で仕事をする日が多い。

よって私から見る日常はほとんど変わりない。

むしろ、夫は会社に、息子は学校に、日中は私一人だったコロナ以前より騒々しい。

「おいっ、ぺちゃくちゃ食べるな」

「気持ち悪い赤ちゃん言葉使うなっ」

「いちいち俺の部屋入ってくんな、俺の机の上いじるなよ」

息子は手厳しい。

・・という表現はちょっとずるいか。

手厳しいと言うときは、客観的に見て「厳しいなあ」と思うときに使うのであって、自分はそれほど責めるほどでもないと感じているときに使う。

夫の赤ちゃんに話しかけるような甘ったるい言い方や、食事の時に立てる音には私もよく文句を言っていた。

言い出したらキリがない。

左手を出して食べて。びっくりするから階段をドドドドドドってものすごい音させて降りてこないで。私に来たハガキ、読まないで。トイレにいる時話しかけてこないで。黙って何マンもする買い物しないで。

けれど、最近はもう、それも含めて彼なんだとわかっているので怒る気にもならない。

嫌だなあとは相変わらず思うが、それこそが彼の象徴でもあるんだから仕方ない。

私だって病弱で長く生きられるかどうかとか、そんな心配を、一番させてはならぬ心配をさせている。そして、それもまた私の特性だからどうしようもできない。

全部ひっくるめてその人。

母の予防接種に車を出してくれるのも夫なら、赤ちゃん言葉を使うのも夫。

私がげっそりしようが浮腫もうが、一度も辛気臭いとか丈夫じゃないから困るとか言ったことのないのが夫なら、知らないうちにこっそり8万円の講座を申し込んでいるのも夫。

凸凹しあっている私達は破れ鍋に綴じ蓋なのだ。今更本気で相手をどうこう変えようなどと言うエネルギーは、ない。

「なあ、母さんもそう思うよな」

息子がこっちを向いて参戦しろと言う。ちょっと前までは二人が喧嘩しないよう、険悪な空気をかき混ぜるために

「ねーっ!」

とわざと大袈裟に首を傾げて笑ったり

「まあ、でも、それが君の父さんなんだから。DNAって怖いわあ」

などと加わっていたが、だんだんそれも面倒になってきた。

反抗期の子供じゃないんだ、もう勝手にやってくれ。

「な、嫌だよな」

俺は正しいとばかり自信満々に私が味方につくのを待つ息子に向かって近頃はこう答える。

「知らんがな」

「え?」

「わたしゃもうどうでもいい。関わらせるな」

「おい、諦めか、もう冷めたと言うことか」

「私を巻き込むな、わたしゃ、もういい。そういったことには関わり合いたくない」

決して夫に対して不満が消えたわけじゃないが、さほど気にもならない。

「どうした、諦めるな、関われ」

「それぞれお互いさまってこともあるしねぇ」

しかし息子はまだまだ諦めない。俺の親父、もっとカッコよくいて欲しいというその気持ちもよくわかる。

「母さんが甘やかそうと俺は許さないからな」

当の本人の夫は、たとえそれが咎める言葉だろうと息子が自分に絡んでくることだけで嬉しいらしく、何を言われようとも「お前、俺のこと大好きだろ」と喜び、またそれで怒りをかっている。

二人でやっとくれ。

・・・平和だ。