視座を変えればもっと楽園

ラジオを聴いていたら好きな男性タレントが、チラシを小さく折り畳んでゴミ受けにするのについてポロっと言った。

「でも、あのチラシでゴミ箱やってる人、なんかいいですよね」

すると相方の女性も

「うんうん、なんか良妻賢母って感じで」

と同意する。

ね、いいよね、そういうの、と好感を表した。

えぇっ?何ですって⁈そういうのが好きなの?

かつて新婚の頃、親戚の女性の家に遊びに行くとたくさんのチラシでできた折りたたみ箱が炬燵の上に積んであった。その使い方を知りすっかり有益な情報を知ったと、作り方を教えてもらい、帰宅して早速作った。

新米主婦だったので、こんな些細な事がちゃんとした主婦のイロハのようで張り切った。

あるときやってきた母がそれを見つけた。

「なにこれ」

得意になって説明すると嫌そうな顔をして

「やめなさい、ケチくさい」

と言う。

ネットの生ゴミ袋がわりで節約にもなるよと反論すると

「あなたは良くても旦那様はイヤよ、こんなの。自分に甲斐性のない当て付けだと思うわよ、やめなさい」

そう言って持って帰ってしまった。

はぁ。妻はそんな気配りもして切り盛りしないとならんのか。

なんだか叱られたようでシュンとしたのを覚えている。

それがなんと。私の大好きなあの人が今確かに「いいよね、そういう人」と仰った。

私はいいねの枠から外れているではないか。

あれっていいヤツだったの…。

つまりは好感を持つ人々も、頂けないわと感じる人達もいて、親がたまたま後者だったものだからそっちの方が正解だと思い込み続けた私の視野の狭さがもたらした衝撃なのだが心底びっくりした。

まだまだあるはずだ。

この類いの思い込み。

だからうっかり息子に自分考えを熱弁できない。

 

きっとこの世はもっと自由で柔軟で優しい。

視座を変えただけで、修正する必要のない事、物、習慣がきっと山程ある。

たかだかチラシ袋一つ、衝撃だった。