ずっと大好きで新刊が出るたびに買っていた作家さんがいる。
その人のエッセイを読むと落ち着き、自分の生きる方向性を確認できて安心した。
かなり長いことその人に心酔していたと思う。
あるときから、違和感を感じるようになった。はじめは著者のスランプかと思った。
あれほどビンビン響いてきていた彼女の呟きや哲学も、なんか浅く感じられつまらない。
ところが次の本もその次も昔のように自分を揺さぶらなくなってしまった。
寂しい。
私の心が荒んでいるせいか。
熱くなれない心が寂しくて、何度かトライしたが、溝はもうもとには戻らない。
反抗期の子供が親にべったり依存していた世界観を、あるとき突然冷めた気持ちで批判する。それと似ている。
結局はこの人、大人になりきれていない人なんじゃない?
嫌悪した。
それから彼女の作品は買わなくなった。
先日、Kindleで彼女の新刊の案内がきた。
懐かしさからつい、購入ボタンをクリックした。
相変わらずの文体。相変わらずの青臭さ。そして相変わらず一生懸命生きていた。
以前のように憧れはしない。
でもやっぱり私を惹きつける。
それがなんだかわからない。けれど、たぶんまたこれからもこの人の本を買う気がする。
冷めた目で。それでも目が離せなくて。
ついつい買い続けるだろう。
大人になりきれていなかたのは私の方で、思えば彼女の生き方に憧れ、この世界の見方、感じ方、判断、全てにどっぷり依存して寄生して、気持ちよくなっていたのだ。
生じた違和感は、私独自の揺るぎないものが出来上がったからだろう。
今、手元にある本は居心地がいい。
飛び出していった子供が親元に帰省したときのように懐かしく張り詰めた気持ちを解きやがる。
それでも読んではブツブツ批判する。
言いたい放題言っときながら、またどうしてるかと気になる。
くっそう・・・。
なんか悔しいのはなんでだろう。
親には敵わないっていう、あの感じ。
私自身がようやく自分の足で立ったってことかな。