随分前に机の高さが自分に合わなくてギコギコ鋸で足を切ったとここに書いた。
そのときは絶妙な高さになったとご満悦だった。
なにより、鉛筆と物差しで引いた線を頼りに切ったにもかかわらず、ガタつくことなく水平になったことが誇らしい。
小学一年生の1学期、図画工作でABC三段階評価のCをもらって母を動揺させた過去をもつこの私、基本、こっち系の作業には不幸な記憶が多い。
それが、どうだ。思いつきでやったにしては奇跡的な仕上がり。
それからしばらくは毎日、机に向かい腰掛けては自分の度胸と出来の良さを確かめ喜んでいた。
が、やはり雑な作業はボロがでる。
イケアのリラックスチェアと組み合わせて使いたいと考えていたのでかなり低くした。
イケア椅子でくつろぎつつ、この机にiPadをのせて動画を観たい。
それがそもそもの動機だったのだ。
動画は小さい画面で観るのが一番だと思っていた。
テレビ画面より手元に置いてあるタブレットで視聴するほうが圧倒感が少なく、読書と似た感覚で見続けることができる。
手の中に収まるといった感じと言えばいいだろうか。
窓に面して置いた机にタブレット、食事をのせたお盆、まったり動画をみながらお昼ご飯を食べる。
そのちょっと行儀のわるい一人時間が昨年夏からのマイブームだった。
しかしそれに変化が訪れた。
先日、深い意味なくテレビ画面でドラマの続きを再生した。
すると以前あれほどしんどいと思っていたのが、「あれ、こっちもいいかも」となっていた。
体力がついたのだろうか。心が解放されてきたのだろうか。
ドラマに集中しているところを家族に見られる気恥ずかしさも薄れていた。
どっかりイケアに腰掛け、足を投げ出しテレビ画面に向かう。
これはこれで楽しい。
以来、机で食事をしながらが、テレビの前に小さな台を持ってきてそこにお盆を乗せての試聴が増えた。
すると机の高さを無理にイケアに合わせる必要がなくなった。
キャスターのついたワーキングチェアに座ってパソコンを打つときにはやや、低い。
確かに以前のでは高過ぎたから足を切ったのは間違いではなかったのだが、若干、切り過ぎたことは否めない。
イケアを意識するあまり。
「やり過ぎた」ことを認めるまで数日かかる。そうはいっても、まあこれでもいいか。
高過ぎた時に比べればずっと改善されたし。
何度も肯定しようと試みたが、ついに観念した。
やはり調子に乗って切り過ぎた。
あと1センチは高くてもよかった。
己の失敗を認め100均に行く。そこで床を傷つけないよう椅子やテーブルの足に貼るフェルトを買う。
すでに一枚ずつ貼ってあるところに重ね付けした。
まだ低い。
もう一枚づつ貼った。まだ低い。
さらにもう一枚。切ったり貼ったりなにやってんだ、私は。
お。よし。これだ。これこれ。
厚み5ミリを3枚、1センチ5ミリ。切断したのは7センチだったからこの程度は微調整だと自分で自分に言い張る。
「絶妙〜」
再度ご満悦。
切るんじゃなかった・・というほどのミスではなかったと、改めて自己満足する。