お天気のんびりまったり

相変わらず、いっじょーにしんどい。やっぱ自分で思ってた以上に体力ないんだわ・・・あ、いっじょうと以上で駄洒落になった。。

などと心の中で呟くほど、じわじわ力が戻ってきている。気がする。

このところ続く雨による気圧病かもと微かな期待にも反し、晴天の今日もしっかりだるい。

違ったか・・・。

でも、全く動けなかった数日間と違うのは、せっかくいい天気だからもったいない、どこか行こうかと思い巡らすところ。

そんな発想するのだってエネルギーはいる。

私の場合、最悪の時は家事をやっては床に這いつくばる。気力もなく家族との会話も煩わしく、ドラマも本もしんどく、ラジオやYouTubeを聴きながら1日をやり過ごす。

そういう時は1日が長く、日暮れになってくるとほっとする。

どこか能天気なのは、明日は違うかもといつも思っていること。

明日はパッと軽くなってるかもなどと頭の片隅では本気で思っている。

瞬間瞬間、なにがどう自分に作用するかわからない。ダラダラ過ごしたことでとか、ふかし芋が美味しかったこととか、家族と冗談を言い合って笑ったりとか、寝そべったホットカーペットが心地よかったこととか、些細なことが重なって元気回復のエンジンがかかる。

それは根本的な完治ではないけれど、対処療法なんだけど、それでいいと思うようになってきた。

対処療法だろうが、なんだろうが、1日は1日だ。

もっと言ってしまえば、一瞬は一瞬だ。一瞬が集まって1日になって、一年になって一生になる。

一瞬を侮る事勿れ。

どんな手段を使ってどんなくだらないことでもいいから、ムフ♪瞬間を集めていれば、自ずと幸せ密度は高くなる。

4ヶ月入院していた時でも毎日どっかしら心が浮かれる瞬間があった。

自分で歩けた時。階段を昇れたとき。絶対安静だったのが、看護婦さんの付き添いで一階のコンビニと本屋に行けることになったとき、お昼ご飯にお肉が出たとき。

ベース落ち込んでいたけれど、ぽっぽっとハッピーランプが小さく灯り、小さくご機嫌になっていたのを思い出した。

そうだったそうだった。

まさか自分が命の危機に迫られることになるとは思っていなかったから、入院体験は辛かったが、あれのおかげで幸せに対するハードルがぐぐぐぐっと下がった。

家族に行ってらっしゃいと言って、自分の作ったご飯を食べさせて、見送る自分。

洗濯物を抱えてベランダに干してる自分。

買い物に行く私。

生きてるぅ。

ここんとこ体調も良く、夫に病気の話を全て話し不安とコンプレックスを隠さなくていいメンタルの安定とで、ちょっといい気になっていた。もっともっともっと。もっとなにか楽しまなくちゃ。もっとできるはず。

それはそれでいいことだと思う。一番体調の悪かったときは旅番組も街巡りの番組も自分に関わりないものと眺めていた。

今は調子の良い日に行けたら行ってみようかなと考える。

でもやっぱりあの「生きてる悦び」も持ち合わせていこう。

だから今日は、せっかく天気もいいし、外苑前の銀杏を見にいこうかなと思い付いたけど、体力温存続行の日にしよう。

気持ちに元気が戻ってきてから、体もついてくる。

今はまだ気持ちだけで身体はしんどがってる。

焦らない焦らない。明日もあるし、明後日もあるし。なんなら来年だって神宮の銀杏は黄色になる。

午後はまったりアマゾンプライム