新しい習慣に切り替える

読んでいた本に「人の考えは脳の習慣によるものだ」というのが出てきた。

脳も筋肉だから、その考えで生きていれば自然とそこが発達し、自動的にその思考回路が反応する。つまり、考えているようで実は脳についた反射反応のようなもので、ただのその人の脳にとっての習慣なのだという。

道徳感や常識も、代々親や年配者から伝えらえ植え付けられた「こういうものだ」というものを柔らかい子供の頭は吸収し、それに習う。そして間違った行動をすると正され定着する。

こう、こう、こう。こうするの。こういうことはいけないこと。

そうやって脳に何度も共通の基準が刻まれる。

だけど、それも、人間の脳が習慣化しているだけなのだ。

なるほど。

だから、国や地域によっての当たり前が、他所に行くと全く理解されないものだったりするのか。

ということは。

私が痩せ過ぎていてみっともない、とか、お尻が大きくてスタイルが悪いとか、下っ腹が出ていてなに着ても似合わないとか、頭もよくないとか。体が丈夫じゃないから夫に申し訳ないとかそういうコンプレックスも、結局、思考の習慣化?そうなのか?

母がいつも私に向かってそう言い続けてきた。

反論すると、お前がおかしい、だって本当にそうなんだからと、叱られる。

だんだんそんな気もしてくる。

それを受け入れ反省した方が、物分かりのいい大人になったと扱ってもらえたから、そういうことだと私も、した。

 

母王国の住民だった私は、今でもその教えを大切に自分に言い聞かせている。けれど、もう私はそこに住んでいない。とっくに私王国の主人なのに。

一瞬、母を恨めしく思う。洗脳されたとすら考えた。

だが、半日経ってその子供じみた自分の発想が、それこそが違うんだと恥じる。

私の反応がおかしかったのだ。

ある頃から、自分の頭で本当にそうか、と自分で考え、力尽くでも打破すればよかったのに、その作業もせず楽な方に流れ、鵜呑みにしてきた。

おかしいとすら思わなかった。

正直今も、まだまだ、脳にこびりついた思考は抜けていない。

でもこれがただの思考の習慣に過ぎないのだとしたら、どこか私でも母でもない、よその人の王国では

「なに言ってんの、そんなの全然思わないよ」

という思考回路が当たり前として通用することもあり得る。

じゃあ夫が「トンさんはダメじゃないよ」と言っているのは慰めじゃないのかもしれない。

 

とにかく、今、自分を惨めにする習慣は、早急に捨てよう。

なんでこんなものにしがみついているんだろう。

捨てていいんだなぁ。

 

なんてことを昨日から、頭の中で反芻している。

これを新しい回路として定着するくらい、脳の筋トレを続けよう。 

そうしたらもっと気楽にもっと楽しくなるはずだ。

ちょっと希望。