就職活動終了

息子が内内定をいただいた。

ありがたい。本当にありがたいことだ。

実を言うと盲腸の手術の日が第一志望の最終面談日だったのだ。

執刀医の先生から早朝、これから手術すると連絡の入ったとき

「お腹も病院に来てからの点滴が効いたようで、だいぶ柔らかくなってきたので一旦退院して就職活動してきてからでもよくはなってきたんですが、ご本人にそう言ったところ、予定通り今日、やるとおっしゃってるので、これからやりますね」

と聞かされ「お願いします」と返事をしたが、内心、その決断をした息子に一瞬心は揺れた。

息子を見舞うと

「これでダメだったら縁がなかったってことで」

と力の入らない表情で言う。

「大丈夫、なんだかわからないけど、全ていい方に向かってる途中なんだよ」

「そだな」

「そうそう」

 

合格ですとの電話がかかってきたのは改めて受けた最終面接の翌晩だった。

ドドドドドっと階段を夫と息子が降りてきて

「受かった」

と教えられた。

 

力がヘナヘナと抜けていったように思う。

ああやっとゴールに辿り着いた。

やっと社会に送り出すところまで来た。

学生時代、紆余曲折を散々し、学食にもサークルにも違和感を持ち続けてきた息子が、とうとう自分の望む社会を見つけ、そこに居場所を得た。

高校を受かったときより、大学を受かったときより、学科移動合格したときより、今一番晴れやかな顔をしている。

よくここまで妥協せず流されず、自身の持つ違和感を守り抜いたと思う。

 

彼のスタートライン。

そして私の親として、第一段階ゴール。

 

産んだ時からずっと、彼のことを自分の子供というよりは

「神様から預かった命」だと感じていた。

神様から社会に送り出すまで、毎日お世話をするようにと預けていただいた命。

だから極力、自分の好みや希望は引っ込め、本人がやりたいと言うことを全面的に肯定し、応援することに徹した。

あるときは、「ええっそっちに進むのっ?」と、なんとかして方向転換させたくなるようなこともあった。

が、その度に「預かり物預かり物」と念仏のように唱えてやってきた。

確かに息子は私がイメージしていたものより大きくかけ離れた青年になった。

私ごときの小さな世界観、価値観で包み込まなくて本当によかったと思う。

 

親としてあれこれ手をかけてこなかったくせに

知らせを受けた一昨日の晩から明けての昨日から、放心状態が続いている。

きっと私なりにどこかにぎゅっっと力を入れてきたんだろう。

喜びよりも今は安堵感の方が大きい。

 

すべてのことに心から感謝します。

ありがとうございます。